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2026年5月、大成建設が「GREEN RENEWAL OFFICE ウェルネスオフィスマネジメント」を全国展開する、というニュースが流れました。心理学に基づくヒアリングを軸に、働く人の潜在ニーズを引き出し、人材確保と社員定着につなげる、という内容です。
このニュースは応用心理学(ポジティブ心理学・組織心理学)寄りの話題ですが、よく見ると「働く人の内側を覗き込み、表に出ていない声に耳を傾ける」という構造そのものが、ユング派分析心理学の関心領域と重なっています。本記事では、大成建設の事例をフックに、ポジティブ心理学が描く「ウェルビーイング」と、ユング派の「個性化」を並べて読み解き、個人として自分のオフィス時間にどう向き合えるかまで踏み込みます。

ニュースの整理|大成建設「ウェルネスオフィスマネジメント」とは何か
まず、話題の出発点になった大成建設のサービスを整理します。建設通信新聞(2026年5月25日掲載)によれば、概要は次のとおりです。
・正式名称: GREEN RENEWAL OFFICE ウェルネスオフィスマネジメント
・展開規模: 全国展開、拠点事務所(CSセンター)のショールーム化を推進
・主要構成要素: ボードゲーム形式の対話ツール「T-PALET」によるヒアリング、ナッジデザイン(スティンザー効果・モデリング効果の応用)、行動・座席可視領域分析シミュレーション、ZEB改修との組合せ提案
・狙い: 人材確保と社員定着、「選ばれるオフィス」化
・導入例: 証券会社の地方支店(ZEB改修と並行して光熱費約50%削減を達成)
注目したいのは「ボードゲーム形式のワークショップを通じて、アンケートでは見えてこない働く人の潜在ニーズを顕在化させる」という設計思想です。アンケートやヒアリングシートでは出てこない声を、ゲームという媒体を介して引き出す。これはユング派の臨床で言えば、自由連想や象徴的なイメージを介して無意識に近づこうとする態度に近い、と私は読みました。
ウェルビーイングとは何か|ポジティブ心理学の見取り図
大成建設のサービスは「ウェルビーイング経営の支援」を掲げています。ウェルビーイングという言葉は、応用心理学の中ではポジティブ心理学が主な担い手です。
ポジティブ心理学はマーティン・セリグマンが1998年のアメリカ心理学会会長就任講演で提唱した、比較的新しい潮流です。それまでの心理学が「人間の苦しみを和らげること」を主に扱ってきたのに対し、ポジティブ心理学は「人生を最も価値あるものにする条件」を扱う、と整理されます。
セリグマンの『ポジティブ心理学の挑戦』では、ウェルビーイングは単一の幸福感ではなく、複数の要素から構成されるものとして提示されます。よく知られているのが PERMAモデル で、おおまかには次の5要素です。
・P(Positive Emotion): 快や喜びといったポジティブな感情
・E(Engagement): 没頭・フロー体験
・R(Relationships): 良質な人間関係
・M(Meaning): 意味・大義への所属
・A(Accomplishment): 達成感
大成建設のサービスがオフィス環境という器を通じて狙っているのは、PERMAで言えばEとRの底上げです。座席配置・動線・光熱負荷を整え、雑談と協働の確率を上げる。ナッジで望ましい行動を「うっかり選んでしまう」状況を作る。応用心理学の側から見れば、この設計は理にかなっています。
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ポジティブ心理学の挑戦 “幸福”から”持続的幸福”へ(マーティン・セリグマン著、ディスカヴァー・トゥエンティワン)
ウェルビーイングとPERMAモデルを提唱者本人の言葉で読みたい人向け。オフィス施策の背景にある思想を辿ると、施策の評価軸を自分なりに持ちやすくなります。
ユング派から見たウェルビーイング|表層の幸福と深層の統合
ここからが本題です。ユング派分析心理学の枠組みでウェルビーイングを眺めると、ポジティブ心理学とは別の地層が見えてきます。
ユングは「自我(意識の中心)」と「自己(こころ全体の中心)」を区別しました。ポジティブ心理学のウェルビーイングは、ほぼ自我のレベルで観測可能な幸福を扱います。「いま、楽しいか」「没頭できているか」「誰かと良い関係を築けているか」。これらは本人が言語化できる範囲の話です。
一方ユングが関心を持ったのは、その下にある無意識の地層です。意識的には「うまくいっているはず」と感じていても、夢の中で繰り返し迷路に閉じ込められる人がいる。職場では明るく振る舞っているのに、週末になると説明のつかない疲弊感に襲われる人がいる。ユング派から見ると、これらは無意識からのサインであり、自我の幸福感だけでは捉えきれない領域です。
ユング派のキー概念をいくつか挙げると、こう整理できます。
・ペルソナ(仮面・社会的役割): 職場で見せている「できる自分」の表層。ペルソナそのものは悪ではないが、それと自己を同一視すると内面が空洞化する
・シャドウ(影): 自分が認めたくない側面。「あの同僚が苦手」という感情の裏に、自分のシャドウが投影されていることが多い
・個性化(自分自身になっていくプロセス): 自我と無意識の対話を通じて、ペルソナ・シャドウ・元型的なものを統合し、「本当の自分」に近づいていく長期的な過程
大成建設のオフィスは、ペルソナを快適に演じやすくする器を整えるサービス、と言えます。それ自体は価値があります。ただ、ペルソナの居心地が良くなったからといって、シャドウや個性化の課題が解決するわけではありません。むしろペルソナが磨かれすぎると、「役割としての自分」と「本当の自分」のずれに気づきにくくなる、というユング派から見たリスクすら存在します。
ユングは『自我と無意識の関係』の中で、ペルソナを「個人と社会との間の妥協形成」と表現しました。社会人として最低限のペルソナを身につけることは健全な発達ですが、ペルソナと自我を同一視してしまうと、人は「役割を脱いだ自分」を見失います。「会社員の私」と「家庭の私」と「本当の私」のどれが核なのか、答えに詰まる感覚です。オフィスがどれだけ快適でも、この問いは自動的には解決しません。
さらに、ユング派の臨床家マレー・スタインや河合隼雄は、現代人の不調の多くが「外的にはうまくいっているのに内側が空虚」というパターンで現れると指摘してきました。ウェルビーイング施策で外的環境が整うほど、皮肉なことに、この空虚さに気づきやすくなる人もいます。気分が落ち込みやすい方への自己理解として、ユング派の視点は「外側の指標だけで自分を測らない」という構えを教えてくれます。
比較表|ポジティブ心理学のウェルビーイングとユング派の個性化
両者は対立する概念ではなく、扱う層が違うだけです。並べて見ると棲み分けが見えてきます。
| 観点 | ポジティブ心理学(ウェルビーイング) | ユング派(個性化) |
|---|---|---|
| 扱う心の層 | 主に自我・意識 | 自我+個人的無意識+集合的無意識 |
| 幸福のとらえ方 | PERMA等で要素化・測定可能 | 自己との一致感、語りにくい質感 |
| 時間軸 | 日々の改善・短~中期 | 人生規模の長期プロセス |
| 主な手法 | 介入実験、行動科学、環境設計 | 夢分析、能動的想像、象徴の読み解き |
| 影との関係 | 直接の主題ではない | シャドウとの対話が中心テーマの一つ |
| オフィス文脈での問い | どう環境を整えれば没頭と協働が増えるか | この働き方は「本当の自分」と矛盾していないか |
| 読み始めの一冊 | 『ポジティブ心理学の挑戦』(セリグマン) | 『ユング心理学入門』(河合隼雄) |
表を見ると、両者は競合ではなく補完関係にあると分かります。組織がポジティブ心理学的な施策で土台を整えてくれているなら、個人としてはその上で「自分の内側」を耕す余裕が生まれる、とも言える。ユング派は、ウェルビーイング施策が整った職場こそ、その下に残る個性化の課題が見えやすくなる、と捉え直すこともできます。
個性化の入り口|オフィスで実践できるユング派的なセルフワーク
ユング派分析心理学は本格的には分析家との長期的な作業を伴いますが、入り口として個人で取り組めるセルフワークもあります。職場の心理学施策に頼り切らず、自分の内側にも目を向けるための、ささやかな手がかりを4つ挙げます。
1. ペルソナの輪郭を意識する
1日の終わりに「今日の自分はどんな仮面をかぶっていたか」を一行だけ書き出します。「頼れる先輩」「黙々と作業する人」「会議で意見を言う人」など、肩書とは別の役割語で表現すると気づきが深まります。役割を否定するのではなく、「演じていた」と自覚することが第一歩です。
2. シャドウへの投影に気づく
強く嫌悪する同僚や上司がいるとき、その人に投影されている自分の側面がないかを問い直します。「あの人の自慢が嫌い」と感じるなら、自分の中にも認めたくない自慢気質がある、というのがユング派の見方です。気分が落ち込みやすい方への自己理解にも、この視点は役立ちます。
3. 夢の断片を書きとめる
枕元にメモを置き、起き抜けに覚えている断片だけでも書き出します。解釈しようと頑張らず、「印象」「色」「気分」だけで十分です。河合隼雄は『無意識の構造』で、夢を「もう一人の自分からの手紙」と表現しています。手紙は読まなくても、受け取った事実が大事なのです。
4. 「違和感」を捨てずに持ち歩く
ウェルビーイング施策が整った職場でも、ふと湧く違和感はあります。「この働き方、本当に自分に合っているか」「数字は伸びているのに、なぜ心は静まらないのか」。違和感はシャドウや自己からのサインかもしれません。すぐ解消せず、しばらく抱えておく姿勢が個性化の入り口です。
5. 象徴的なイメージに触れる時間を作る
ユング派は象徴の読み解きを重視します。週末に美術館で1枚の絵をじっくり眺める、神話や民話を一篇読む、自然の中を当てもなく歩く。これらは意識的な分析ではなく、無意識との接触を許す時間です。河合隼雄は『無意識の構造』で、こうした時間が「自我の固さ」をほどくと述べています。オフィスのナッジが行動を最適化していくほど、最適化されない余白の時間が個性化の養分になります。
6. タイプ論で自分の傾向を眺める
ユングのタイプ論(内向/外向×思考・感情・感覚・直観の4機能)は、自分の利き手のような心の機能を知る手がかりになります。ウェルビーイング施策は集団の最大公約数を狙うため、自分のタイプとは合わない設計が含まれることもあります。「私は内向×思考型だから、雑談が増えるオープンスペースは消耗する」といった自己理解があると、施策との距離の取り方を選べるようになります。
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日本人で初めてユング派分析家の資格を取得した河合隼雄が、京都大学での講義をもとにまとめた、日本のユング心理学入門書の定番。タイプ論・コンプレックス・夢分析・集合的無意識を、平易な日本語で辿りたい人向け。
オフィス心理学のこれから|環境設計と内省は両輪
大成建設のような環境設計型のサービスはこれから増えていくと予想されます。ナッジ・行動経済学・ポジティブ心理学の知見がオフィスに実装されることは、概ね歓迎すべき動きです。個人で「集中できる席を毎日交渉する」ような負荷を、環境側で吸収してくれる意義は小さくありません。
ただ、環境がどれだけ整っても、それだけでは個人の内側で進むべき仕事は残ります。ユングは『自我と無意識』の中で、外的な適応に成功した中年期の人ほど、内面の課題が表面化する、と繰り返し述べています。オフィスがウェルネス化すればするほど、その器の中で各自が自分の影や仮面と向き合う必要は、むしろ大きくなるかもしれません。
環境設計と内省は、対立ではなく両輪です。会社がポジティブ心理学的な土台を整え、個人がユング派的な視点で自分を耕す。両方が回ったとき、「ウェルビーイング経営」という言葉は表層のキャンペーンを超えて、もう少し深いところに根を下ろします。
FAQ|オフィス心理学とユング派視点のよくある疑問
Q1. ポジティブ心理学とユング派分析心理学はどちらが正しいですか?
A. どちらかが正しいというより、扱う心の層が違うと整理する方が建設的です。ポジティブ心理学は意識レベルで観測しやすい幸福を、ユング派は意識と無意識を含めた長期的な統合プロセスを扱います。組織が前者の知見で土台を整え、個人が後者の視点で内側を耕す、という棲み分けが現実的です。
Q2. ウェルビーイング施策が整っているのに、なぜか満たされません。なぜでしょう?
A. ユング派から見れば、ペルソナと自己のずれが大きくなっているサインの可能性があります。役割は果たせているのに、自分の核となる感覚がそれと噛み合っていない状態です。すぐ解決を急がず、違和感を書きとめる、夢を記録するといった内省を一定期間続けると、輪郭が見えてくることがあります。判定や評価ではなく自己理解の作業として取り組むのが、ユング派の姿勢です。
Q3. 個性化はオフィスの中でも進められますか?
A. 進められる部分はあります。ペルソナへの自覚、シャドウへの投影の点検、違和感を抱える練習などは、職場の通常業務と並行して行えます。ただし夢分析や能動的想像など本格的な作業は、信頼できる分析家との長期的な関係の中で進めるのが安全です。職場のサポート制度(EAPなど)の利用も、選択肢として持っておくと良いでしょう。
Q4. ユング派の視点は科学的ですか?
A. ユング自身は、観察可能な現象として元型や集合的無意識を「記述した」と慎重に表現しています。実証主義的なポジティブ心理学とは方法論が違いますが、長期にわたる臨床事例の積み重ねによる質的な知の体系として、独自の地位を持っています。スピリチュアルや占いと短絡せず、こころを読み解くための一つの枠組みとして扱うのが妥当な構えです。
Q5. 何から読み始めれば良いですか?
A. ユング派は河合隼雄『ユング心理学入門』(培風館)、ポジティブ心理学はセリグマン『ポジティブ心理学の挑戦』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)がそれぞれの定番です。両方を行き来しながら読むと、自我レベルと無意識レベルの両方を同時に見渡せる視点が育ちます。
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まとめ|オフィスの心理学は入り口、個性化は本丸
大成建設の「ウェルネスオフィスマネジメント」全国展開は、応用心理学の知見が建設業界の本流に組み込まれ始めた、象徴的な動きです。働く人を統計と環境設計から支える試みとして、十分に意義があります。
ただ、ユング派の視点を一本通すなら、オフィス心理学はあくまで器づくりに留まる、ということになります。器が整った上で何を盛り付けるかは、結局のところ一人ひとりの内側の仕事です。ペルソナを自覚し、シャドウへの投影に気づき、夢や違和感を手がかりに自己との対話を続ける。個性化は、PERMAの先にあるもう一つの地図として、これからも価値を失わないはずです。
ウェルビーイング施策のニュースを見たときは、ぜひ「自分の内側ではどんな施策が必要か」と問い返してみてください。それがユング派の入り口です。
ユング心理学をもう一歩深く学びたい方へ
「ユングで学ぶ心理学入門」では、元型・集合的無意識・個性化のプロセスを、河合隼雄の解説を手がかりに体系的にまとめています。職場の心理学トレンドの先にある、自分自身の地図を描く旅へどうぞ。
